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日本&台湾

『台湾は親日なの?』

 

『なんで台湾は親日と言われるの?』

 

『親日と言われる理由は?』

 

というような疑問に答える記事となっています。

 

台湾ですが、親日とよく言われます。

 

2011年の東日本大震災の時には、台湾から200億円以上の

義援金が届いたのは個人的に強く印象に残っています。

 

総額にすると253億円との事なので、すごい額ですよね。

大国アメリカに次ぐ義援金の額が、台湾から届いたのは驚きますよ。

 

2016年の熊本地震の際も、いち早く支援をしてくれました。

 

なぜ台湾はこんなに多くの義援金を届けてくれるのか?

親日と呼ばれるのか?』には理由があるはずですよね。

 

その理由は歴史を知る事でわかってきます

 

この記事では、大きく三つの段階に分けて概要の部分を解説していきます。

全く何も知らない方は、こういう出来事があって台湾が親日と

言われるのかというのがわかるはずです。

 

親日に関係した台湾歴史の3つの出来事

出来事

 

日本と台湾ですが、歴史的にみると深い関わりがあるんです。

 

実際、知らない方も多いかもしれません。

 

僕も学生時代に勉強したのかもしれませんが、全く記憶になく

社会人になってから勉強して知る事ができました。

 

そんな台湾の歴史を、日本と大きく関わりがあった所から

以下の3つに分けてどんな出来事が起きたのか解説していきます。

 

1894年 日清戦争

1895年 日本の統治

1945年 中華民国の統治

 

1894年~1895年 日清戦争、日本の統治

新竹市役所

 

1つ目の出来事は、1894年~1895年の日清戦争、日本の統治の時です。

 

1894年(明治27年)から1895年(明治28年)にかけて、日本と清国の間で

戦争が行われ日本が勝利ました。

 

1895年に日本側の伊藤博文(いとう ひろぶみ)、清国側の李 鴻章(り こうしょう)により

下関条約(しものせきじょうやく)が調印されました。

 

その条約の中に清国は、台湾をはじめとした遼東半島、澎湖諸島などを

日本に割譲するとあった事から台湾は日本となりました。

 

この統治時代は1945年まで続いたので、台湾は約50年の間日本だったんです。

 

『え、台湾って日本だったの?』と思う方も多いかもしれません。

 

特に若い世代の方は、この事実を知らない方も多いのではないかと思います。

ここが重要なポイントですね。

 

台湾の統治はとにかく大変

 

日本が台湾を統治する事になったのはいいですが、

色々な問題があって大変でした。

 

何が大変だったかというと、台湾には以下のような問題があったからです。

 

1原住民族の高山族(こうざんぞく)の激しい抵抗

激しい抵抗

 

1つ目の問題は、原住民族の高山族(こうざんぞく)の激しい抵抗です。

 

別名、首狩り族とも呼ばれた高山族の激しい抵抗により、

全く統治を進める事ができませんでした。

 

武力をもって鎮圧し、その結果約2,800名の戦死傷者が出てしまっています。

 

台湾を1億円でフランスに売却した方がいいという『台湾売却論』が出たほど

この時の抵抗が凄まじかった事を物語っています。

 

また、今でこそ台湾の多くの若者は中国語を話しますが

統治を始めた当時の殆どの台湾人は中国語を話せませんでした。

 

なので、中国語の通訳を台湾へ派遣したのに多くの住民は

中国語を話せないため意思疎通には苦労したようです。

 

台湾の原住民も各部族ごとに言葉が違っていたんです。

 

日本が統治した後は、教育により部族間でも『日本語』という

共通語ができました。これは本当にすごい事だと思います。

 

ちなみに日本で有名だったビビアン・スーも、母方が原住民のタイヤル族です。

台湾ドラマとかを台湾人の奥さんと見ていたりすると、『この人は原住民』と

教えてくれたりします。

 

知らないだけで、原住民の血が入っている方も多そうですね。

 

2マラリア、ペスト、アメーバ赤痢などの風土病の蔓延

マラリア

 

2つ目の問題は、マラリア、ペスト、アメーバ赤痢などの風土病の蔓延です。

 

日本人の医師達を台湾に呼びよせて、風土病の撲滅のために尽力しました。

僕の出身地の群馬からも、羽島重郎がマラリアなどの風土病の撲滅に大変貢献してます。

 

マラリア蚊の調査・研究をしてマラリア蚊の新種も発見して

台湾マラリア蚊」と名付けました。

 

そんな羽鳥重郎が、かつて台湾の花蓮市で使っていた診療所が

「秋朝咖啡館」というカフェになっています。

まだ行った事がないのですが、いつか行ってみたいです。

 

ちなみに羽島重郎の親戚の「羽鳥又男」も台湾へ渡り、台南市最後の日本人市長になり

台南人に愛されていました。

僕と同じ群馬出身の方が活躍していたのを知ると大変嬉しいですね。

 

3中毒患者の多い阿片(アヘン)の問題

阿片

 

3つ目の問題は、中毒患者の多い阿片(アヘン)の問題です。

 

オランダ統治時代からの悪習だったアヘンの吸煙が

台湾の庶民の間で普及して大きな問題となっていました。

 

そこで撲滅の取り組みをしたのが、後に民政長官になる後藤新平です。

 

撲滅の対策として、アヘンに高い税をかけて購入しづらい仕組みにしたり

吸煙を免許制にして常習者を少しづつ減らしていきました。

 

いきなり禁止にせずに、徐々に減らしていくやり方が巧妙ですよね。

 

台湾を統治する上で日本が行った対策

政策

 

台湾を統治する上で原住民の鎮圧、マラリアや阿片の撲滅など色々な問題がありましたが

問題をただ解決するだけでは、台湾に未来はありません。

 

日本はその後台湾が発展できるように、産業の発展やインフラの整備

教育などにも力を入れていきます。

 

1新しい産業の着手やインフラの整備

サトウキビ産業

 

新しい産業の着手として、新渡戸稲造を説得し台湾に招聘(しょうへい)させます。

 

以前の5,000円札に描かれていたので、強く記憶に残っているかも多いと思います。

 

総督府技師としてサトウキビの品種改良や、糖製技術と設備の近代化

生産量が大きく高まることで、税収の増加に貢献しました。

 

また、鉄道をしいたり、港湾の増改築、交通網や電気、下水道、道路の改修といった

インフラの整備がされて住民の生活や健康が改善されました。

 

2東洋一の烏山頭(うさんとう)ダムの建設

ダム

 

日本が台湾を統治してすぐに行われた事ではないですが、1930年に

土木技師の八田与一は台湾の農業のために当時東洋一の烏山頭ダムを台南市に完成させました

完成するまでに約10年の期間を要しています。

 

建設された嘉南平原は水不足に悩んでましたが、ダムが建設されたことで

田畑に水を引いて土地をうるおすことができ農業の発展に大きく貢献しました。

 

僕もこの烏山頭ダムをどうしても見に行きたくて、奥さんと一緒に見に行きました。

初めて行った時は、ダムの大きさに圧倒されましたね。

これを作ろうと考えて、実際作るわけですから本当にすごいです。

 

ダムの近くには八田与一さんの銅像も建てられています。

その八田さんの銅像の目の前に『ぶわっと』ダムが広がっていて非常にきれいでした。

 

同じ日本人として誇らしい気持ちになりますね。

 

ダムの近くには八田與一記念館もあり、歴史に触れる事もできて勉強になります。

 

僕たちは電車やバスで行きましたが、アクセスは良くないです。

日本人だけで行くのは難しいと思うので、公共交通機関を利用していく場合

台湾の方と一緒に行った方が安心だと思います。

 

3教育の充実

教育

 

1896年台北に『国語学校』をかわきりに台湾各地で『国語伝習所』が

開設されて教育の充実をはかりました。

 

この時は、台湾に在住している日本人の児童は、日本本土と同様の

「小学校」や「中学校」に就学する事ができました。

つまり、台湾人とは違う教育を受けていたんです。

 

その後、台湾総督府の同化教育(日本人と平等に扱う)のもと

教育制度の一元化がすすめられました。

 

平等に扱うとありながら、実際には台湾人に対しての差別はあったようです。

台湾の方の中には見返してやろうと必死に勉強した方も多いでしょうね。

 

終戦直前の統治前には、台湾人児童の男女平均の就学率が約 90%に及びました。

統治がされたばかりの頃は、約10%程なので就学率はかなり伸びた事になります。

 

 

この時に日本語の勉強した台湾の方は、本当に日本語ペラペラで

台湾人とは気づかないくらいレベルの人が沢山います。

 

今の若い日本の方には理解できないような格式の高い日本語を話す人も大勢いました。

 

日本統治時代を過ごした当時の李登輝総統が何冊も本を出版されていますが、

読んでみると難しい日本語や漢字を使われている事に驚きます。

 

下の台湾の方が話されている動画を見てみてください。

動画の日本語もさることながら、お話している内容も『しっかりしないとな』と背筋が伸びます。

 

 

1945年 中華民国の統治

蒋介石

 

2つ目の出来事は、中華民国の統治の時です。

 

1945年の太平洋戦争(大東亜戦争)によって日本は敗北し、日本は台湾から撤退しました。

 

この時は日本の統治が無くなる事を喜んだ人もいましたが、

殆どの人は日本人が帰国してしまう事を名残惜しんで悲しんだといいます。

 

送別会などやってくれた台湾人も多かったようです。

 

 

大陸からやってきた国民党軍

国民党軍

 

日本が撤退した後に台湾へ来たのが、中国大陸から国民党軍

その家族を引き連れて来た蒋介石(しょうかいせき)です。

 

蒋介石は、毛沢東(もうたくとう)率いる共産党との内戦で敗れたため

台湾へ逃れてきました。

 

最初は日本の統治がなくなり『祖国復帰』と喜んでいた台湾人いましたが、

中国大陸からやってきた国民党軍の軍隊を見て不安がよぎります。

 

日本の統治で見てきた日本軍は、威風堂々と行進する姿のイメージでしたが

国民党軍の兵士はボロボロな服で身を包み、ダラダラと行進する姿が

あまりに日本軍とかけ離れていたからです。

確かに、実際に見たら『大丈夫か』と不安になると思いますね。

 

その不安は的中し、日本が統治していた時と何もかも大きく変わり

台湾の人々は困惑する事になります。

 

中華民国の統治になり生活習慣が全く変わりました。

 

大陸から来た人々は、秩序や道徳もなく

官僚の着服、警察や役人の不正や賄賂(わいろ)などが横行するようになります。

 

例えば、罪のない人を捕らえたり、罪をでっちあげて拘束し

保釈金を要求してお金を巻き上げたりなどが日常的に起きました。

 

日本統治時代に当たり前だった『法治国家』の精神のカケラもないので

もう滅茶苦茶ですよね。これじゃ普通の生活も安心して送れないです。

 

日本人は規律正しく、人に対してウソはつかないなどの道徳を

しっかりしていたので、あまりの違いにビックリしたと思います。

日本の役人は不正をしませんし、賄賂なんてものは皆無ですからね。

 

これまで不正や賄賂がなかったものが横行しだしたら、

台湾人の不満も当然溜まります。

 

差別的な表現になりますが、当時の台湾人は

犬去りて、豚来たる』と話したそうです。

 

犬は、日本人や日本軍を比喩した表現です。

 

『ワンワン』うるさいけど、知らない人が来た時はちゃんと吠えて、

家を守り番犬として役に立つ事を意味しています。

 

豚は、中国人や国民党軍を比喩した表現です。

ただ食べ物を食い荒らすだけで役に立たない事を意味しています。

 

すごい比喩ですよね。とても口に出して言うのは気が引けますが

それくらい日本の後にやってきた国民党軍は酷かったんだろうと感じます。

 

 

そんな台湾人の不満が溜まった結果、ある事件が起きてしまいます。

 

二・二八事件の勃発

二・二・八事件

 

そんな不満が溜まりにたまった時に起きたのが二・二八事件です。

 

これはどんな事件かというと、1947年2月27日に台北市で闇タバコを販売していた

本省人女性に対して、専売局取締官の役人が暴行を加える事件がきっかけで起きました。

 

この暴行で騒ぎ出した市民に対して、取締官が発砲し青年1人が死亡してしまいます。

 

これが発端となり、翌2月28日に市民(本省人)が長官公署前広場に集まり抗議デモが行われます。

このデモに対して憲兵隊が発砲し、抗争がさらに台湾全土に広がっていきます。

 

市民側は多くの地域で一時的には実権を収めましたが、

国民党政府は大陸から援軍を派遣します。

 

増援部隊は台湾に到着次第、手あたり次第に台湾人に向けて発砲し

武力によって徹底的に弾圧しました。

ここで書くのをためらうくらい数多くの残虐な行為もあった記録があります。

 

死亡者の数は色々な説がありますが、推定1万8千~2万8千人とされています。

多くの医者、弁護士、教師、作家などの『知識人』や『指導者』も標的になり

犠牲となってしまいました。

 

この事件の事は1970年代まで、台湾国内で闇に葬られます。

 

その後、1995年には台北に記念碑が建立されます。

除幕式では、その当時の李登輝総統が公式に被害者の家族に謝罪をしてます。

 

この事件が決定打となり、『日本統治時代は良かったな』と思う人が更に多くなります。

日本が統治していた時は気付きませんでしたが、国民党軍が来たことで

比較対象が出来たのは大きいですよね。

 

親日

 

台湾の方が日本についてどう思っているかですが、比較的良い印象を

持っている人が多いと思います。

 

ただ、日本を特別扱いするような感じはあまりしないです。

特に今の若い人達はそのように感じます。

 

日本が台湾を統治していた時代の事をよく思っていたり、感謝している方であれば

日本人という事で特別扱いされるかもしれません。

 

僕が台湾で『日本人』と言って明らかに対応が変わった経験が一度あります。

台湾のバスに乗っていた際に、年配のおじいちゃんから『どこから来たの?』

と言われて『日本です』と答えたんです。

 

そしたら『そうか、日本か』と笑顔になって、その方は日本語を殆ど喋れなかったので

隣に居た台湾人の奥さんと中国語で色々話しているうちに目的地に着いてバスを下りました。

 

おじいちゃんも一緒に下りて挨拶して分かれたのですが、観光先だったので行先が

いまいちわからず『どっちに行けばいいんだろう』とウロウロしていたら、

そのおじいちゃんがわざわざ戻ってきてくれて目的地まで案内してくれました。

 

『なんて、親切な方なんだ』と嬉しい気持ちになりましたね。

その方の親御さんが、日本統治時代の日本の事を良く話してくれたのかもしれません。

 

台湾の歴史が学べる本

台湾テキスト

 

台湾の歴史をもっと知りたいという方により深く学べる歴史の本をご紹介します。

 

この記事で紹介しているのは、まだまだ浅い部分なので

歴史の本を読むことで、更に深く理解する事ができますよ。

 

1人でも多くの日本人が知っていた方が良い事だと思うので、是非読んでみてください。

 

台湾―四百年の歴史と展望 (中公新書)

 

1つ目は、台湾―四百年の歴史と展望 (中公新書) です。

 

伊藤 潔(いとう きよし)さんという日本が台湾を統治している時の台湾に生まれ、

後に日本に帰化した方が書かれた本です。

 

1993年に発行された少し古い本ですが、中立的な視点でオランダ支配からの

台湾400年の歴史を学ぶ事ができます。

知らなかった事も多くて、非常に勉強になりました。

 

なぜ台湾は親日と言われるのか、理解を深めるのに役立つ一冊です。

 

歴史の本なので、難しい言葉もありますが、個人的には比較的読みやすいと思いました。

コンパクトなので持ち運びもしやすいのも良いですね。

 

詳説台湾の歴史 台湾高校歴史教科書


 

2つ目は、詳説台湾の歴史 台湾高校歴史教科書です。

 

台湾の高校での歴史教科書の中で、採択率がNo.1の教科書です。(2012~18年調べ)

 

台湾の高校生が学ぶ歴史を学習する事ができるのは面白いです。

台湾人が日本をどうみているか、よく理解できますね。

 

台湾現代史: 二・二八事件をめぐる歴史の再記憶


 


3つ目は、台湾現代史: 二・二八事件をめぐる歴史の再記憶です。

 

この記事内でも紹介した二・二八事件の事に焦点を当てています。

 

どのような背景でこの事件は生じて、それが現在に至るまでの台湾の歴史で

どのような影響を及ぼしてきたのか理解を深める事ができます。

 

 

 

いかがだったでしょうか?

概要だけの紹介でも、かなり文字数が多くなってしまいました。

 

この記事を読んで頂いただけでも、日本と台湾は歴史的にみると

深い関係があった事は理解できたと思います。

 

僕も以前は台湾について関心もなく、全く知ろうともしていませんでした。

 

奥さんが台湾人というのも大きいですが、台湾の歴史や文化なども勉強して

少しずつ分かってきて、多くの人に伝えたいと思いました。

 

台湾に行くのは好きだったけど、歴史の事はよく知らなかったという方は

是非勉強してみてください。実際こういう人が多いと思います。

 

歴史を勉強すると、同じ台湾旅行でもまた違った角度から

見る事ができて面白いと思いますよ。

 

なぜ台湾は親日と言われるのか台湾の歴史についてでした。

少しでも参考になれば嬉しいです。

 

 

 

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