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世界遺産にも登録されている『富岡製糸場』、『田島弥平旧宅』、

『高山社跡』、『荒船風穴』の4つの資産で構成する

「富岡製糸場と絹産業遺産群」の高山社跡』へ行ってきました。

 

まず写真の景色を見てわかるように自然の中にある建物です。

個人的に好きな場所ですね。

 

『富岡製糸場』は世界遺産に登録されているのは有名ですが

同じく「絹産業遺産群」の『田島弥平旧宅』、『高山社跡』、

『荒船風穴』が世界遺産に登録されています。

国史跡(くにしせき)にも指定されています。

 

群馬県民の方でも知らない方も多いのではないでしょうか。

 

僕も最近まで恥ずかしながら知りませんでしたが

実際に行ってみて、とても勉強なりました。

 

同じく世界遺産である『田島弥平旧宅』にも以前訪れたので、

興味のある方は下の記事を参考にしてみてください。

 

この記事では、そんな『高山社跡』を紹介していきますので

読む事でどんな所かわかると思います。

興味を持たれたら、是非足を運んでみてください。

『高山社跡』ってどんな所?

 

高山社跡は、そもそもどんな所?」と疑問に思う方も多いと思います。

 

高山社跡ですが、高山社の創始者の高山長五郎(たかやま ちょうごろう)が

養蚕法(ようさんほう)の改良を行った高山社発祥の地です。

※養蚕(ようさん)とは、カイコ(蚕)を育てて繭(まゆ)をとることです。

 

きめ細かな飼育管理でカイコ(蚕)の蚕病(さんびょう)を防いで

安定した養蚕と良質な繭の生産を実現しました。

 

ここで確立された養蚕法が『清温育(せいおんいく)』です。

 

長五郎が「清温育」をさらに全国へ普及させるために

養蚕指導教育機関である「高山社」を設立しました。

 

また、高山社で学びたいという学生が増えたため、多くの学生を

指導するために優秀な社員の家を「分教場」として開き、

清温育を教えるようになりました。

 

この分教場は後に全国各地に設置されて、116か所にも及んだそうです。

116か所とは、かなり多いですよね。

 

この高山社で学んだ優秀な人物は、全国へ指導員として派遣されて

清温育を実地指導しました。

 

その結果、清温育は全国標準の飼育法と言われるようになったんですね。

藤岡町に本社を移した後は、『高山分場』として機能しました。

 

裕福な家庭の方だけではなく、貧しい家庭の人や女性の人も学べて、

指導員として活躍できる場だったそうです。

 

この当時、今と違い女性が仕事で活躍できる場は少なかったので、

養蚕技術を身に付けて、女性や貧しい家庭の人でも活躍できる教育の場を

作ったことは、かなり先進的なことをやっていたんだと感じました。

 

高山社の住所などの情報は、以下のとおりです。

【住所】 群馬県藤岡市高山237

【見学時間】 午前9時~午後5時

【見学】 500円

※高校生以下、障害者(付き添い1名)の方は無料です。

【連絡先】 0274-23-7248

【駐車場】

高山社跡の前に数台と数分歩いた所にも大きい駐車場もあります。

 

ここの駐車場はスペースも広いので、余裕で停められると思います。

駐車場の所にトイレがあるのですが、きれいで驚きました。

大体こういう所のトイレは古くて汚いイメージですが、

いい意味で期待を裏切られましたね。

僕の奥さんもトイレが綺麗だと驚いてたので、

女性トイレも同じくきれいみたいですね。

掃除が行き届いていて交換が持てます。

「高山長五郎」とはどんな人物?

養蚕法(ようさんほう)の改良を行った「高山長五郎」とは

どんな人物だったのでしょうか。

高山長五郎(1830)

群馬県藤岡市高山生まれ

高山村の名主であった長五郎は、村の経済利益をあげるために

現金収入が期待できる養蚕に注目

試行錯誤の中から『清温育』という養蚕法を確立

全国各地から集まる生徒に格安で分け隔てなく技術を教える

村の経済利益のために、養蚕法『清温育』の確立や

全国に影響のある学びの場まで作ったのはすごいと思います。

 

高山社養蚕学校の設立

高山社2代目社長である町田菊次郎は、明治34年に藤岡町(当時)に

養蚕学校を開設して初代校長を務めました。

 

明治期における日本で唯一の私立甲種養蚕学校であった高山社蚕業学校には

日本国内はもちろん朝鮮や清国からも指導を求めて学生が集まりました。

 

学生は本科と別科で分かれていて、本生徒は1年を通じて養蚕学校で養蚕実習や

学理を学んで別科は月によって分教場で養蚕実習をしたとの事です。

 

養蚕の技術を学びに海外からも生徒さんが来る学校とは驚きです。

それほど、当時の高山社での養蚕技術が高かった表われですね。

 

『清温育』はどんな養蚕法?

清温育は、温度や湿度、空気の流通などを調整し、

細かい部分まで飼育管理を徹底する指導法でした。

 

そんな時代に、収繭量(しゅうけんりょう)の安定と

品質の向上を格段に進歩させました。

※収繭量は字のごとく養蚕農家等が収穫した繭の重量の事です。

 

相当な数のトライ&エラーで実験を繰り返して、

生み出された指導法だと思います。

 

海外の方にも言語対応

高山社跡には、スマホで聞ける英語、中国語、韓国語の音声ガイドや

パンフレットも用意されていました。

 

失礼ながら場所的に、外国語対応はされていないと思ったので驚きました。

ここ数年で整備された感じだと思います。

 

僕の奥さんは台湾人なので、中国語のパンプレットをもらえました。

日本語だと完全に理解することが難しい部分もあるので、自分の国の言葉の

パンフレットも用意されているのは有難いですね。

 

高山社の母屋の玄関を入ると、真正面に大きな画面が設置されていて

タッチパネルで説明も見ることができます。

英語など外国語にも切り替えができますよ。

 

歴史的な建物の中に現代のテクノロジーが組み合わさっている

ミスマッチ感が面白いです。

 

母屋の前にはパネルがあって、高山社を支えた人の紹介や高山社のあゆみ

高山社養蚕学校と分教場についてや当時の養蚕学校の様子が写真付きで

紹介されています。

じっくり見ていくとあっという間に時間が経ってしまいますね。

見ごたえのあるパネルです。

 

ガイドの方も常駐

ガイドの方は、男性の方が2名程常駐されていました。

細かい説明をしてくださるので、理解がより深まります。

親切ですし気さくに話してくれたのも良かったです。

 

コロナウイルス対策で、今だと口元にシールドをして

飛沫の予防をしっかりしてくれているので安心でした。

説明してくれたガイドの方は、韓国語を話せるそうです。

 

今は海外からの往来が難しいので、外国の方は少ないそうですが

普段は外国人観光客の方も多いそうなので、日本語以外の言語が

話せるのは良いですよね。

 

岩手から高山社跡に来られたお客さんで、その方のひいおじいさんが

高山社で養蚕技術を学んでいた話をガイドの方がしてくれました。

 

実際に行くことで、こういう貴重な話が聞けたのも良かったです。

 

高山社の施設の紹介

まずは、高山社の母屋ですね。中はこんな感じです。

 

「富岡製糸場と絹産業遺産群」の紹介映像を見れる所もあります。

言語は日本語と英語でも見ることができます。

時間は15分くらいはありましたかね。

空いているようであれば、理解がより深まるので見た方がいいと思います。

 

ちょっとしたお土産も買えます。

僕は『高山長五郎の生涯』という漫画が売られていたので購入しました。

103ページとページ数も多くないですし、漫画なので読みやすいですね。

お子さんにも読みやすくて良いかと思います。

 

値段は、1冊500円でした。たったワンコインで楽しく学べるのはお得です。

この本ですが、2,500部の限定販売みたいです。

郵送での購入もできるようなので、興味のある方はこちらで確認してください。

 

「高山社跡」にも売られていますが、数分の所に「高山社情報館」があって

そこでも売られていました。

 

「高山社情報館」では、ほかにもお土産も売られていますし、

高山社跡の入学證を提示すると、高山社跡が作れる

ペーパークラフトがもらえるので立ち寄ってみてください。

 

完成品は、こんな感じになります。

ちなみに高山社跡でも、受付時に田島弥平旧宅でも貰えた『本のしおり』と

『世界遺産カード』を貰えますよ。

田島弥平旧宅で初めて手にした時から、この世界遺産カードが

個人的に好きになってますね。

 

表に写真があって、裏には説明がされているのですが

勉強になって面白いです。

 

昔やっていた遊戯王カードよりも世界遺産カードの方が

面白くなるとは大人になりましたね。

 

※時期によって貰えないかもしれないので、欲しい方は

事前に確認した方がいいと思います。

 

母屋兼蚕室

高山社の創業者である高山長五郎の次の当主、高山武十郎が

1891年(明治24年)に建てた住居兼蚕室(さんしつ)です。

 

3連の天窓や通気重視のすのこ状の天井、蚕室を温める火鉢置きなど

多くの工夫が集約されています。

高山社の唱えた養蚕法「清温育」の実践の場であり、模範蚕室です。

2Fは養蚕を行う所で、また違った雰囲気で当時の面影を垣間見れます。

2Fは歩いて一周できますが、歩くたびに『ギィーギィー』と

足音がなるのでちょっと怖いです。長い年月を感じます。

 

2Fへ上がる際の階段が急なので上り下りの際は気を付けてください。

 

成瀬 蓮堂(なるせ れんどう)の掛け軸

藤岡市の水宮神社の宮司であり書道家だった成瀬 蓮堂の

掛け軸も展示されています。

 

最初は、高山社や高山長五郎とどういう関係があるのかと思いましたが

おそらくですが、藤岡にゆかりのある人物という事で

展示されているんだと思います。

 

ガイドの方に、なんで高山社跡に展示されているか聞けば良かったですね。

もしかしたら関係があったのかもしれないです。

次に行く機会があれば聞いてみたいです。

 

蚕室専用の建物「東蚕室」

残念ながら区画する石垣だけしか残っていませんが

母屋兼蚕室の東側に「東蚕室」と呼ばれた4連の天窓をもつ

平屋建ての蚕室専用の建物があったそうです。

 

外観は、分教場時代の絵図や写真で確認することができます。

 

五右衛門風呂や厠(かわや)など

母屋の裏側に行くと、当時のお風呂の五右衛門風呂(ごえもんぶろ)や

トイレの厠(かわや)、高山分場建物跡、西屋敷跡、乾倉庫の区画する

石垣が残っているのが見れます。

 

当時は、多くの建物が連なって賑やかだったのが想像できますね。

五右衛門風呂とか中々見る機会がないので、貴重な体験になりました。

いつか五右衛門風呂でお風呂入ってみたいです。

 

まとめ

いかがだったでしょうか。

世界遺産である『高山社跡』の紹介でした。

 

歴史を知って体験できる貴重な場所だと思います。

母屋の蚕室の建物の構造とか実際に自分の目で見て体験できると

伝わるものが全然違いますね。

また群馬の事や歴史に詳しくなれました。

 

こんな全国的に影響を与えた場所が、自分の生まれた群馬にあると思うと

誇りを持てます。

 

興味を持たれた方は、是非足を運んでみてください。

少しでも参考になれば嬉しいです。

 

 

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