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群馬県伊勢崎市にある世界遺産にも登録されていて、歴史的に重要な建物

田島弥平旧宅』へ行ってきました。

 

「田島弥平旧宅」って何??

 

『田島弥平旧宅』と名前を聞いても、

全くピンと来なかった人も多いかもしれません。

 

僕も恥ずかしながら、今回初めて知って勉強になったところです。

 

正式には、富岡製糸場』を始めたとした『田島弥平旧宅』、

『高山社跡』、『荒船風穴』4つの「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、

平成26年6月25日に世界遺産へ登録されてます。

 

また、平成24年9月19日に国史跡(くにしせき)にも指定されています。

 

『富岡製糸場』が世界遺産に登録されたのは有名ですが、

他の場所は正直記憶になかったです。すいません。。

群馬の事をもっと知れる良い機会になりました。

 

この記事では、そんな『田島弥平旧宅』についてご紹介していきます。

記事を読む事で、『田島弥平旧宅』について参考になるかと思います。

 

無料で見学できてしまうので、是非一度足を運んでみてください。

 

『田島弥平旧宅』ってどんな所?

 

幕末から明治にかけて、優良な蚕種(さんしゅ)、を生産する技法

清涼育」を体系的に完成させた田島弥平の旧宅の事です。

 

弥平が考案して、母屋は文久3年(1863年)に建てられました。

建てられてから、160年以上も経っている歴史のある建物ですね。

 

1階を住居、2階をカイコ(蚕)の飼育等を行う開放的な蚕室(さんしつ)、

瓦葺(かわらぶき)の屋根に櫓(やぐら)と呼ばれる換気を設けた建物です。

この建物が、養蚕農家の原型として全国に広がったんですね。

 

養蚕ってなに?

 

養蚕は、特に若い方は馴染みのない言葉だと思います。

 

養蚕(ようさん)とは、カイコ(蚕)を育てて繭(まゆ)をとる事をいいます。

 

この繭から生糸をつくり、絹織物など作られたわけです。

「田島弥平旧宅」がどういう建物だったか、

少しはイメージができたのではないでしょうか。

 

生糸を日本から中国を抜いて世界一かつては輸出をしていましたが

今では日本の繭の生産量は全盛期の1%以下になってしまっています。

 

ナイロンなど低下価格で大量生産できる化学繊維の開発も

生糸生産の減少に大きく影響しています。

 

絹は軽くて肌触りも良く、良いものというイメージを

持っている方も多いと思います。

 

僕も絹には高級なイメージがあります。

保湿性や通気性などにも優れているので、良いものには間違いないですね。

 

そんな品質の良い絹製品を多く生産できるように、田島弥平が

養蚕技術を体系的に確立して絹製品の発展にも貢献したわけですね。

 

『田島弥平旧宅』の住所などの情報は、以下のとおりです。

住所 群馬県伊勢崎市境島村2243番地

見学時間 午前9時~午後4時

見学 無料

連絡先 田島弥平旧宅案内所 0270-61-5924

駐車場 田島弥平旧宅案内所駐車場が近くにあるので、無料で止められます。

徒歩数分の距離なので近いです。

 

場所は、埼玉県と群馬県のほぼ県境の所にあるので

本庄市と深谷市にも近いですね。


僕は時間の関係で、今回寄らずに直接行ってしまったのですが、

「田島弥平旧宅案内所」でも資料や説明をしてくれるそうなので

田島弥平旧宅に行く前に寄ってから行った方がより理解が深まると思います。

 

駐車スペースも余裕がありますし、案内所は小学校を再利用して

使われているので大きいです。

 

『田島弥平旧宅』に直接行ったとしても、僕らの時は女性のガイドの方が

1名いて親切に説明してくれました。

直接説明してくれたり、質問ができるのはより理解も深まって良かったです。

 

桑場で、田島弥平旧宅についての紹介映像も見させてもらえました。

10分程の映像だったと思いますが、映像で見れると分かりやすいですね。

 

夏場に行かれる方は、蚊が多いので虫よけスプレーを

かけて行った方がいいと思います。

僕の血が美味しかったようで、かなり蚊に刺されました。笑

 

あと、訪れた際に田島弥平旧宅の『本のしおり』と

『世界遺産カード』を貰えましたよ。

無料で見学できた上で、このようなものを貰えるのは嬉しいですね。

 

世界遺産カードを今回初めてじっくり手に取ってみましが、

裏目に説明も書いてあり勉強になって面白いです。

※時期などによっては、貰えないかもしれません。

 

田島弥平とはどんな人物?

 

ここでは、「田島弥平旧宅」を考案した田島弥平とは

どのような人物だったかを改めて紹介します。

 

田島弥平(1822~1898)

群馬県伊勢崎市境島村生まれ

優れた蚕種(蚕の卵)を生産する養蚕

『清涼育(せいりょういく)』を完成させる

『養蚕新論』『続養蚕新論』を出版して、養蚕業の発展に貢献

 

何と言っても、養蚕業の発展に大きく貢献した方ですね。

 

紹介映像が見れる桑場に、上の写真の田島弥平のパネルが飾られていますが、

肖像画の写真が使われています。

 

この肖像画は、1879年(明治12年)に養蚕直輸出のために渡った

イタリアで描かれたものです。弥平が58歳の時です。

今から約150年も前ですから、この時代に海外に行くことがすごいですね。

 

田島弥平のスゴイ所

田島弥平のすごい所は、「通風を意識して、蚕室内を

自然に近い状態で蚕を飼う仕組み」を考案したことだと思います。

これを『清涼育(せいりょういく)』と呼ばれます。

 

弥平は、蚕の飼育には「自然の通風」が重要だと考えたんですね。

 

そこで、温度や湿度を調整することができて、

カイコ(蚕)を上手に育てる事ができる

「やぐら」付きの建物を考案し、養蚕農家の原型を

世界で初めて作りました。

 

屋根の上に乗る「やぐら」と呼ばれる小屋根に引き戸があり、

この「気抜き窓」と2階の蚕室の窓を開閉することにより、

蚕室内の環境を調整していたそうです。

まさに換気システムですね。

 

自然に近い状態で蚕を飼えるように、

何回も検証や改良を重ねたはずです。

 

弥平の諦めない心が『清涼育』を生んで、

養蚕技術に大きな影響を与えたわけなので

本当にすごいです。

 

『田島弥平旧宅』の見どころ

「田島弥平旧宅」の敷地内では、いくつか

見れるポイントがあるので紹介します。

 

訪れた際には、多くの人が必ず見る場所になると思います。

 

母屋

まずは、田島弥平旧宅の主屋です。

母屋内は、原則非公開となっています。

 

ガイドの方曰く、先代の方が住んでいるとのことです。

 

ただ、客間として使われた1階「上段の間」は

毎月の第3日曜日に特別公開されています。

 

住んでいる家を公開してくれるなんて有難いですよね。

時間は、午前9時から午後4時までです。

 

遠くから訪問する予定の方は、この日に合わせて来られた方が

貴重な所を見れる良い機会になると思いますよ。

 

僕が訪問した時は、第3日曜日ではなく公開されていなかったので

次回行った際には見てみたいですね。

 

母屋の屋根の上に乗っている「やぐら」は

横幅1.8メートル、高さが約2メートルあるので

大人が立ってスムーズに歩けるほどの広さがあります。

 

写真で見るとそこまで大きく見えないですが、高さ2メートルもあるんじゃ

結構な大きさですよね。

 

桑場

桑場です。紹介映像を見ることができる所ですね。

 

明治27年(1894年)に再建されていて、カイコのための桑葉の収納

加工を行った建物です。

 

養蚕は行われていなかったようです。

桑場の屋根にも櫓(やぐら)がありますよ。

 

桑場内には、博物館とかに展示できるような養蚕道具だったり

パリでの受賞した銀牌(ぎんぱい)など当時の貴重なものが飾られています。

 

パリでの受賞した銀牌(ぎんぱい)ですね。

 

 

じっくり見ると勉強になりますし面白いです。

 

午後4時で鍵を閉められてしまうので、じっくり見たい方は

少し早い時間に行ったほうがいいと思います。

 

記念碑

貞明皇后(ていめいこうごう)行啓記念碑です。

母屋と同じ敷地内にあります。

 

この記念碑は、昭和23年(1948年)に大正天皇の皇后、貞明皇后の

田島家行啓(ぎょうけい)を記念して建てられたそうです。

※行啓(ぎょうけい)とは、皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が外出されることです。

 

井戸

 

井戸もあります。1863年当時のもののようです。歴史を感じますね。

 

写真だと分かりずらいですが、通常の井戸とは違って

高い石積みの上に築かれています。

なぜかというと、利根川の洪水に備えるためとの事です。

 

「なんで、この井戸は少し高い位置にあるんだろう?」と

最初見たときに思いましたが理由を知って納得でした。

 

写真撮るのを忘れましたが、鳥居と氏神様も敷地内にありますよ。

 

『養蚕新論』とは?

『養蚕新論』とは田島弥平が1872年(明治5年)に出版した養蚕書です。

 

蚕の飼育方法や、蚕室(さんしつ)の構造や

蚕種製造(さんしゅせいぞう)、桑の栽培方法など養蚕と

製種に関する内容で構成されてます。

 

養蚕に使う道具や蚕種製造の様子などは、42枚の図が掲載されていて

当時の人には、大変分かりやすく解説されていたようですね。

 

こちらで数ページ試し読みできますが、

昔の活字体は非常に読みずらいです。

 

読み進めるのは個人的には困難です。こちら

「ぐんまの本棚」で復刊版ですが、3,080円で購入できるようです。

 

どんな登録基準で世界遺産登録された?

世界遺産の登録の基準を教えて!

 

「田島弥平旧宅」は、平成26年6月25日に世界遺産へ登録されましたが、

そもそも「世界遺産」について耳にはするけど、

詳しくは知らない方も多いのではないでしょうか。

 

僕も知らなかったので、今回の件で勉強になりました。

 

世界遺産は、『文化遺産』、『自然遺産』、『複合遺産』

の三つに分類されています。

※複合遺産は、文化遺産と自然遺産の両方の価値を備えているものです。

 

日本では、まだ一つも登録がされていません。

世界でも登録件数は少ないですが、有名どころだと上の写真のペルーにある

『マチュ・ピチュの歴史保護区』が複合遺産で登録されています。

 

「富岡製紙場と絹産業遺産群」は文化遺産として登録されましたが、

世界遺産に登録されるための条件として、以下のような記載があります。

(1)顕著な普遍的価値を有すること

(2)真実性、完全性が証明されること

 

これだけだと何となくは理解できるけど、具体的には分からないですよね。

もっと詳しく説明していきます。

 

「顕著な普遍的価値」について

最初の(1)は「顕著な普遍的価値」ですが、

文化遺産の基準の項目が6個あって

 

その内の1つ以上の項目を満たす必要があります。

 

「富岡製紙場と絹産業遺産群」は、以下の2つの項目を満たしました。

①建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の

発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の

交流またはある文化圏内での価値観の交流を示すものである。

 

②歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、

科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。

 

ちなみにですが、日本で知名度の高い奈良県にある

「法隆寺地域の仏教建造物」や広島県にある「厳島神社」は、

上記2つの項目と更に2つの項目の基準を満たして登録されています。

「真実性、完全性が証明されること」について

次に(2)「真実性、完全性が証明されること」は、

資材や文化的特徴が本物であること(真実性)

価値や重要性を示すために必要な要素がすべて

含まれていること(完全性)が求められます。

 

実際に基準に満たしているかの判断は、人によって

意見が分かれそうな感じもするので

難しい状況もあるのではないかと思いました。

 

知らなかった事も多かったので勉強になりましたね。

 

渋沢栄一も関係している!?

 

渋沢栄一は、2024年から新1万円札の図柄に選ばれたこともあって

ご存知の方も多いと思います。

そんな渋沢栄一も関りがあったんです。

 

渋沢栄一は生家が養蚕をしていたこともあり、

明治4年の大蔵省に仕官して時に宮中養蚕(きゅうちゅうようさん)の

相談役に選ばれました。

 

相談役に選ばれたはいいものの大蔵省の任務が多忙だったため、

親戚である島村の田島武平を世話役として推薦したんです。

 

そして翌年の明治5年に田島弥平が世話役になるなど、島村の人々が

宮中養蚕に深く関わるようになりました。

 

渋沢栄一も「島村勧業会社」設立の指導や

富岡製糸場の建設に関わったりなど

養蚕業の発展に大きく貢献しています。

 

渋沢栄一が生まれた深谷市も、田島弥平旧宅のある

伊勢崎から近いですからね。

『田島弥平旧宅』に行った後に『渋沢栄一記念館』というルートも

良いかもしれないです。

 

僕もまだ渋沢栄一記念館』には行った事がないので、

行ってみたいですね。

 

この記事のまとめ

いかがだったでしょうか。

『田島弥平旧宅』についてご紹介しました。

 

今まで触れる機会のなかった養蚕の事を知れて、

勉強になりましたし面白い場所でした。

 

お子さんの学習体験にもいいと思いましたね。

大半の子供はつまらないと思うかもしれませんが。。

夏休み期間中であれば、自由研究の題材にもなると思いますよ。

 

大人の方も、勉強になることが多くて面白いと思います。

ご興味の出た方は、是非足を運んでみてください。

何か少しでも参考になったら嬉しいです。

 

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